スキマダイアリ

インドネシアでさまようリーマン

symbol

 今日、自分のシンボルを決めた。
 のっけからまったく意味が分からないと思うが、決めちゃったものはしょうがないのだ。もうちょっと分かりやすく言うと、今までずっと自分のタギングを悩んでいたのだがようやく今日決めた!ということだ。いやいやタギングてそもそもなんやねん、という御仁はwiki子・・おいwiki子!

タギングtagging )は、街の彼方此方に散見されるスプレーペンキで描かれた落書きの一種で、特に個人や集団のマーク(目印)とされるものを描いて回る行為・またはそれによって描かれたモノ。 米国はカリフォルニア州サンディエゴのインペリアルビーチから発祥した文化である。
タギング - Wikipedia

 つまり自分のマークを考えついたわけです。なんか自分のマーク、って小学生みたいだね。ただこれは小学生からとまでは行かないが、高校生ぐらいからずっと欲しかったものだった。Tristan Mancoの『Street Logos』を本屋で見つけてジャケ買いしたのがそれぐらい。2400円くらいで当時の自分にとってかなり大きな買い物だったが、それも気にならないぐらいにその本に魅入られてしまった。そこに載っている世界各国(欧米中心だが)の名だたるストリートアーティストのグラフィティを、すげーすげーと興奮しながら見たり、実際に模写したり。それまでも絵を描くのは好きだったけど、高いデザイン性とメッセージ性を持ちながらも比較的シンプルなラインで自己主張するグラフィティがツボにはまったのだった。*1
 それから高校の時も学園祭のポロシャツをデザインしたり(他にやる人間がいなかったとも言う)、部誌の表紙なんかに絵を描かせてもらったりしていた。が、基本はその本の模写だった。写しているだけで楽しかったし、単なる落書きとは違ってグラフィティはシンプルかつ再現性、メッセージがあるものでなければ!という妙な考えが自分を縛っていて、まったく自分のタギングが思いつかなかったのだ。それにそのうち思いつくだろうと楽観的な気分でもいたし。
 しかし自分のタギングという奴は意に反してまったく思いつかなかった。それにつれて、今までは単に楽しかった落書きや模写が苦痛になる時が出てきた。グラフィティを知ってから、既存のものの劣化コピーしか出来ない自分に苛立った。そう考え出すと、自分自身だって誰かの劣化コピーに過ぎないじゃないか、みたいな考えがぐるぐるするように。何かオリジナリティーのあるものを描こう!と思ってペイントマーカーを握るも、出てくるのはどこかで見たようなものばかり。それかどうしようもない落書きばかりで、なんかもう自分が嫌になって紙をグシャグシャに丸めてゴミ箱に叩き込んだりしていた。今思えば、よく落書き程度でここまで動揺できたな、おれ。しかし当時は真剣だった。「何か自分にしかないものを現したい」、それが出来ないなら自分はどこにもないのでは!とアホらしいことを考えていた。ただまあアホなのでそんなことを考えて、寝たら次の日には忘れてたけど。
 普通「自分探し」は外に出るらしい。インド行ったり、日本一周チャリ旅行に出てみたり。たぶんそれが自分の場合テッテー的に内向きに出てしまったのだと思うが、そんな時期もやがて過ぎた。厳密に言えば、方向性を変えて(バイク旅行、友人とひたすら飲み歩き)発露していたが、落書きをしていてムショーに苛立つということはあまりなくなった。しかしそれでも心のどこかで自分のシンボルを求める声がある。
 それでも日は変わらず過ぎる。他人や新しいものが自分を知るためのヒントになるのでは、といろんな趣味に手を出し、集まりに顔を出してみる。そんな中でコレは、と思ったのがインラインスケートだった。最初友人と3人で近くの「荒神山」で滑っていたため、地元のスケートチームの練習に参加させてもらうようになったとき「アラジン(荒神)」という部隊名を頂いた。最初これは死ぬほどダサいのではと思ったが、慣れるとその仄ダサさにも愛着が湧いてくる。そこでその名をこっそりマーキング(チョークです)したり、スケートブーツに描くようになった。そのうち、この「Aladdin」をアラビア文字で書くのもカッコいいかなーと思って色々資料を漁っていたら、ランプの絵を発見。この滑らかに金色に輝く流線型を見た時、ズドーンと来た。これだ。これこそ。おれの。
 アラジンは荒神山で子供の時から登山が好きな自分だ。ランプは使い方によっては絶大な力を持つが、失敗すればへちょへちょ。中に何が入ってるのかよく分からない。まあこのへんはこじつけである。ベースが決まったら、後はアイディアをちょこちょこ形にしていくだけだ。ランプの形はちょっとブーツに似てるからウィールを付けてみようか。ボディにチーム名をいれるか。形をデフォルメすれば滑っている人にも見えるな。まだ改良の余地はあるし線も適当だが、それは描くたびに少しずつ修正していけばいい話だ。何しろ「自分のシンボル」なんだから。
 人が見たら、ヒジョーにくだらないことだろう。しかし、「キミって何?」と訊かれた時に「コレ!」って言ってすらすらっとチンケなグラフィティ描いて差し出せたらちょっと面白いよね。つまんないことだけど、こうやって自分を表現する方法が少しずつ広がっていくのはちょっと楽しい。

*1:このグラフィティ観はかなり偏見に基づいたものです。