海外駐在が決まりました。

振り返ってみると

 

2009年に社会人になってから、数えてみれば、この春で10年目を迎える。

長かったな〜。

上司や先輩の話を聞くときには、キャリアの10年なんてのはサラッと過ごしてきたように聞き流してきたけど。自分事だと思って振り返ると、結構なボリュームがありますね。ここらでいっぺん振り返ってみよう。私生活も入れると駄々長くなるので、あえて会社の部分だけ。

新卒での期待を全て裏切られる編

新卒で選んだのが素材メーカーの事務屋。BtoBビジネスなのでプライドも傷付けられず、少人数採用でマッタリとそれなりの給料貰って過ごしたるわい!という高い意識により選んだ。高校で英語に注力するコースに所属し大学でも英国に留学していたりと、海外で働くことへのあこがれをぐつぐつ醸成していたこともあり、その辺のあこがれもあった。

ところが実際に配属されたのは、子会社の製薬メーカーの国内営業。学生が抱いていたBtoBのイメージとは程遠いDoctorやスタッフ、薬品商社とのベタな営業が待っていた。英語なんて使う機会は、殆どなかった。そこで好き勝手にDARADARAとさせていただき、数年後にある海外事業の立ち上げを行う部署(本社)に帰任。

ようやく当初描いていたマッタリでそこそこの給料がもらえる生活に…と思ったら、その海外事業の立ち上げが大コケ。給与賞与カット、経費削減の嵐。このちょっとくらい前から、経営についての興味がようやく芽生えはじめ、勉強をしたりして「まったりも悪くないが、バリバリ働くのもKOOLかもしれねえ」と考え始めた矢先だったが、経営へのインパクトが大きいせいか若手に任せてもらえるような仕事はそうそうなく、いくつか嗅ぎ回って毟り取った案件も前向きなものはあまりなかった。経費削減のため、勉強を兼ねたような出張(国内、海外ともに)をさせてもらえるような余地もなく、なんだかブルーな毎日。

転職する編

そんな毎日で30歳の手前のころ、会社の経営状態も悪化の一途。このままここに留まるとマッタリやバリバリとか考える前にオマンマの食い上げになり兼ねないと、転職を決意。「海外」「経営に近い」ということで探していたら、電子部品メーカーの海外事業部での企画職にありついた。ここまで勤務地は全て東京・・と書いたのは、この職について1年半で関西地区への転勤が決まったからである。おお、まさかね。国内での転勤はほぼないよと言っていたよね。でもよその事業部と合併したからね、しょうがないよね…。

こういうと文句たらたらなのかと思われるかもしれませんが、あしかけ3年目の感想としては「ありがたや」です。基本的にはぬる燗を錫合金でできた徳利にいれたような環境ですが、バリバリやりたければやらせてくれる。別に進歩的な人々が集まった会社というわけでもないので、各論ではいろいろ引っかかるところはあれども総論としてはやはり「ありがたや」。何より尖った人、几帳面な人、後ろ向きな人、勢いのある人など色々なメンツがいて、初めて?社会人としての自分を見直すことが出来たのが良かった。自分が結構適当なところがあるとか、LAZYな側面出ちゃうとか、怒りっぽいところとか、自分の特性が結構見えてきた。

 

で10年目 

まあタイトルでネタバレしているんですが、来年の春から海外駐在が決まった。念願の、というほど途切れず恋い焦がれてきたわけではないが、ずっと心のなかでデカめのしこりとしてあったものが、ようやくほぐれそう。国はインドネシア。数年ほど行くことになりそう。自分の常として、叶ったら叶ったでいろいろ不満やワガママが出て来るであろうことは目に見えているけど、今はただじんわりと嬉しい。