スキマダイアリ

インドネシアでさまようリーマン

彦根観光?記 原田宗典調

滋賀というのはそれ自体「東洋のモンサンミッシェル」と謳われるほどの美麗な都市であるが、その滋賀の中にあって更に美しい場所と言えば、文句なく彦根市が筆頭に挙げられるだろう。確かに近江八幡付近の湖岸で死んだカラスが数羽打ち上げられていた時や、長浜港に設置してあるリリースBOX(釣ったバスを捨てる箱)を真夏に覗き込んだときは、アイアンバージンを見た時にも似た退廃的な美を感じたけれど、これらは大衆の理解は得がたい。ちなみにアイアンバージンが何かはお父さんに聞いてごらん。


そんな彦根に山小屋でバイトしていた時に知り合った友人Yが長野から遊びに来た。更にほぼ時を同じくして、イギリス留学当時の友人RとKも二人連れだって遊びに来たのである。実際はズレがあって一緒だったのは一日間だけだったが、どういうワケかまったく面識のない組が彦根で一堂に会した。理由は不明だが、一説として三人がそれぞれブッキングをする際に、ぼくが寝ぼけまなこで
「あー。観光?いいよいいよ案内しちゃうよ。日にち?適当でいいよー」
などとテキトーに答えてしまったからだとも言われているが定かではない。


Yが訪ねてきてから二日目の晩。地元の友人Nも呼んで三人でちまちまおでんで酒を飲んでいた時、指折り数えて初めてそのことに気づいたぼくは、コンニャクを持ったまましばし思考停止した。しかしその時点で既に一升瓶半分と三合ほど空けていたぼくは、逆になんだか楽しくなってしまい
なんくるないなんくるないさー」
と行ったこともない又聞きのニセ沖縄弁で自分をごまかしたのである。


 そのままアレヨアレヨという間にRとKの二人がやってきた。夜行バスで一晩中揺られ更に一時間近く電車に揺られてきた友人二人は、部屋で聞かされた
「実はもう一人いるねん」
というぼくの説明にただボーゼンとし、もう一揺らししたら魂ごと飛ばされそうな焦燥しきった顔をしていた。20代の男4人が集まった部屋は既に十二分に狭苦しかったが、楽しくなってしまったぼくは構わず更に別の地元の友人を呼んだ。うわあ、どうしようどうしよう。5人もいるぞ。などとぼくは一人でハシャギながら
「今(午前10時)からテニスのダブルスをしよう」
と提案した。


 もちろん関東からわざわざ来てテニスを真っ先にする人間は普通いないが大体がぼくの友人なので、寝不足も手伝ったのかボリショイな気分になって賛成した。
「おまえらが今夜柔らかい布団で寝られるかどうかはおれ次第だ・・わかるな?」
そんなムードを漂わせながらの説得だったが、わかってくれて本当に良かったのである。





その後、観光させろとわめきながらライン際に華麗なサービスを決めてくる友人3人に辟易としたぼくは、友人4人と連れたって、彦根城のどまんなかにいた。ひこにゃん人気はすっかり廃れたと思っていたが、登場予定の彦根城博物館には長蛇の列ができていた。




 彦根城のありがたいところは、元々観光キャパが少なかったところにひこにゃん人気が来て駐車場不足というところである。9月とはいえ、汗ばむ陽気の中を
「運動不足の現代人をテッテー的に歩かせて殺そうとしているのでは?」
と勘ぐりながら20分ほど歩き、やっと着いたところで更に20分ほどひこにゃんの出待ちをした。また順番待ちのオバチャマが我先にとギュウギュウ体を押しつけてくるものだから、Kは相当イカガワシイ気分になったらしい。もう5センチ進むごとに脳の血管が一本ずつ切れちゃうッ、というくらい興奮していたのであった(なぜかKは「死ね・・・死ね・・」とつぶやいていたが)。



しかしながらその甲斐あって、ひこにゃんがついに登場した。後ろの人が見えないから、という理由で全員ひざまずくことを要求されたが、すでにひこにゃんを見た時から言われる前に床でもなんでもなめますッ、というほどの愛らしいフォルムだった。彼はアイドルとして生まれた自分の美しさを熟知しているらしく10分間ほどの間、全盛期の篠原ともえばりに愛想を振りまき幕間に消えたのであった。ああ彦根最高。ひこにゃん万歳。みんなこんな魅力たっぷりの彦根を見に来てね。


間が持たないので二日目以降は、長浜と京都に行きました。5倍くらい楽しかったです